また、昭和を代表する球界のスター、ミスター長嶋氏が永眠された。
ご冥福をお祈りいたします。
ビッグゲームに強く、チャンスに打ち、ピンチを救う。
そして端正な顔立ち、愛嬌あり。
場がパッとあかるくなる。花がある。
スター、ヒーローの条件を備えているひとだった。
以下、
以前、大学医局時代、教授から直接聞いた話である。
(少々記憶の不確かなところがあるかもしれません、ご容赦ください。)
晩年の長嶋氏の講演があり、教授が行かれたそうである。
氏の学生時代の話である。
英語の試験があり、
「私は東京に住んでいた。」という日本文の英訳が問題であった。
氏は、動詞の現在形は知っていたが、過去形をどうするのかなあと悩んだらしい。
「I live in Edo.」、と解答したという。
教授は噴き出し、会場は沸き、大いに受けたという。
ある意味、
この話は、氏の「天性の柔軟性と人を楽しませる才能」を垣間見るかんじがする。
思い起こすと、プレーにもそれが濃厚に表れていた気がする。
社会に生きていると、仕事の場面など、完璧な行いができるとは限らず、手持ちのもので、「どうにかこうにか乗り切る」という能力が問われることもおおい。
試験のように、これこそが正真正銘の正解というものも存在しない。
(それより、皆が笑顔になれそうなことは、いいことでしょ?)
以前、
TV番組で、ピッチャーが投げた球に対し、打者がどの時点から、反応し初動し始めるかという企画があった。
どの時点まで、ボールを見定め、打ち始めるか。
変化球のおおい現在では、当然それが自分に近いところまで見ていられるバッターが、確率的にボールをとらえやすいということになろう。
No.1はイチロー。
そして往年のミスター長嶋も同レベルだった。
やはり天才の要素があったのである。talented.
さてさて、
参照として、
長嶋語録を載せておく。
以下、参照
Wikipedia から
長嶋語録
会話中に「いわゆる」「ひとつの」「ややもすると」などというフレーズが入ることが多い。あるトークショーで観客の子供に「いわゆる、ひとつの、は口癖なんですか?」と質問され、「あの、それはいわゆる僕のものまねをやってらっしゃる人達(プリティ長嶋、関根勤など)が、面白おかしく、ひとつのジョークとしてやっているわけで…」と否定しているつもりが口癖であると認めてしまった。
日本語と英語が不自然に混じった、あるいは英語にしなくてもいい部分まで英語にしてしまう「ミスターイングリッシュ」も有名(例:「失敗は成功のマザー」、鯖のことを「さかなへんにブルー」[10][197])。一説によれば、結婚後に家庭内で英語で会話していたからこのような話し方になったという[198]。肉離れを表現した「ミートグッバイ」などの言葉もある[199]。
感覚を重視するが故に「パアーッと」「ダアーッと」「パーン」「パッ」「サッ」「タッ」「ブワァー」「ヒュッ」「キュッ」「スパーン」「ブン」「シュン」「ガッといく」などの擬音を多用するため、理解できない選手も少なくないが、引退してから長嶋の指導の意味が理解出来たと話す選手もいる[200]。
これらの長嶋の独特なキャラクターはものまねの対象になりやすく、多くのお笑い芸人が長嶋のものまねをレパートリーに加えている。特にプリティ長嶋は、長嶋に似ていたことがきっかけで芸能界入りした。