今年のお中元は、全員、カルピスにした。
(ただ単に考えるのが面倒だったから。)
しかしながら、みんな喜びの声を届けてくれた。
「懐かしい」と。
敬愛する、みうらじゅん氏も、どんな種類の酒類よりも、一杯目のカルピスのほうがうまいといわれている。
さて
1908年(明治41年)、30才の三島海雲という僧侶が内モンゴルを訪問、酸乳をのんだことに始まる。
(モンゴルには、もともと馬乳酒という醸造酒(酵母によりアルコール発酵)があり、子供から老人まで飲んでいるものらしい。ガタイのいいのは、そのせいか?)
カルピスの瓶に、1919・7・7と書いてあるが、大正八年7月7日に販売開始。
日本初の乳酸菌飲料の誕生。
社名、商品名であるが、当時音楽の第一人者、山田耕筰が「カルピス」という響きがいいということから、採用したという。
この会社では、重要なことはその道の第一人者に聞くという慣習があったらしい。
原液は、高濃度のため腐りにくく、戦前は一般家庭の常備品、大日本帝国軍の補給品(兵士の健康飲料)として、戦後は贈答品として使われることになる。
言われると、皆思い出すかもしれないが、カルピスを飲むと口に白い塊ができたものだが、今のカルピスにはそれはないことに気づくだろう。
2012年に改良され、大豆多糖体を加えることで、この口に残る白い塊はなくなったのである。
なんと、カルピスは進化していたのである。
海外では、カルピコ(CALPICO)といわれている。
理由は、以下。
CALPIS(カルピス)→ COW+PISS(牛の小便)に外国人にはきこえるらしい。
CAL:Lの音はオゥの音にちかく、カオゥ → COW
PIS → piss 小便
このため、海外用では「CALPICO」という名に変更されている。
知らなかったのだが、2020年、販売は過去最高を記録したという。
さてさて私事、
お中元のカルピスを受け取ったDr.Hから、次のようなお礼のメールがきた。
昭和ど真ん中に生まれた自分には、「カルピスと昭和世相」をあらわすなかなかの名文ではないかと思われるので、少々要約し紹介する。
以下、
「○○、
昨日、カルピスがとどきました。
ありがとうございます。
昭和の香り満載ですね。
私が子供ころ、オヤジにカルピスのお中元が届いておこぼれを狙っていましたが、客でも来ない限りは隠されており、なかなかお目にかかれず、しかたなく甘くした麦茶をがぶ飲みしていました。。。。。」
これからわかるように、
Mid-昭和生まれのわしらには、結構、カルピスというのは、若干ながら貴重品扱い?だったようである。
カルピスの口腔内に残る白粕。
もう、あの口に残る白粕は、現在のカルピスにはありません。
ああ、昭和は遠くなりにけりかあ。
******
以下、
参照
カルピス
由来
1908年、30歳の三島海雲は内モンゴル(現在の中華人民共和国・内モンゴル自治区)を訪れ[7]、そこで口にした酸乳を参考にして、1919年(大正8年)にカルピスを開発・発売し、この飲料と同名の企業の創業者となったと伝えられている。脱脂乳を乳酸菌で発酵(酸乳)しこれに加糖、さらに酵母(馬乳酒中の酵母と近似[8])による発酵がカルピス独特の風味に不可欠であることは、長く企業秘密とされていたが、1990年代半ばに公開された。
社名は、「カルシウム」とサンスクリットの「サルピス」(सर्पिस्, sarpis, 漢訳:熟酥=じゅくそ)を合わせたものである[4]。社名を決める際、サンスクリット「サルピルマンダ」(sarpir-maṇḍa, 漢訳:醍醐)を使用し、「サルピス」・「カルピル」とする案も存在した。同社では重要なことを決める際には、その道の第一人者を訪ねる「日本一主義」があった。これにより、当時音楽の第一人者だった山田耕筰に社名について相談したところ、「カルピス」が最も響きが良いということで現行社名・商品名になったという[9]。
元々は、パナマ帽を被った黒人男性が、ストローでグラス入りのカルピスを飲んでいる図案化イラストが商標だった。これは第一次世界大戦終戦後のドイツ帝国で苦しむ画家を救うために、社長の三島が開催した「国際懸賞ポスター展」で、3位を受賞したドイツ人デザイナーのオットー・デュンケルスビューラーによる作品を使用したものである[10]。1989年(平成元年)に一部から「差別思想につながる」との指摘を受け、パッケージリニューアル時にこのマークは使用されなくなったが、マーク中の「渦巻き状のストローが入ったグラス」の意匠はややデザインを変えつつ、現在も一部のパッケージに受け継がれている。なお、カルピスはかつてのロゴの図案を白黒反転させたマークも商標登録している。