戦後80年となった。
大きな変化の予感をおもうのは自分だけだろうか。。。
時代を、50年、100年という区切りでみるのもひとつの方法だが、一方、社会現象については、40年、80年という40の倍数の区切りが論じやすいという指摘もある。
まずはじめに、よくいわれることだが、
40で思い出すのは
英語の「検疫」quarantineの語源。
イタリア語の40日から来ている。
1349年ペスト流行時、疑わしい船はヴェネツィア港外に40日間とどまらせたことに由来するという。
「組織40年崩壊説」
これはある出版社の40年記念講演によばれた司馬遼太郎氏が言われたことで、おそらくおおくの参列者を鼻白ませたことであろう。
よっぽど堅牢な組織であっても、40年もたないというのである。
歴史を検証してきた氏だけに説得力がある。
例として、明治政府をあげている。
法や制度の整備をおびただしくやったという意味では、今まで存在したどの政権よりも強固ではあったが、やはりその精神をもふくめ終焉を迎えることになる。
大正昭和、右・左の酩酊した言論人、政治屋、軍人が国を博打を打つように、めちゃくちゃにしてしまい、敗戦へとつながる。
薄氷を踏むように、綱渡りをするように、外交をおこなった明治政府、貧乏が当たり前で我慢に我慢をして、俺たちにも愛国をさせよと希望した明治人たちは墓場で涙したことだろう。
そして、40の倍数である80のこと。
80年。
80年間、人が洗脳され続けると、まったく疑いを持たなくなるという話である。
例として、江戸時代のキリシタン禁制(1612年~)
(それよりも先に秀吉のバテレン追放令は1587年)
80年以上、キリスト教は邪教であると言われ続けると、一般人は疑いもなくそのように信じてしまうようである。
以下、少々司馬遼太郎さんの話からの引用になります。
幕末の木戸孝允のはなし。
幕末長州藩が追い詰められ、にっちもさっちもいかなくなった時期、その時土佐の脱藩浪士・坂本龍馬に意見を求めた。
龍馬は「キリシタンを扇動しよう」といったという。
木戸は、瞬時、顔色を変え、「馬鹿なことをぬかすな!」といったという。木戸のような開明的な人物でも、キリスト教=邪教という洗脳が骨の髄までしみ込んでいたのであろう。
すこし木戸の後日談を追加する。
木戸は明治になり、米国にわたる。そこで、ある青年と出会う。
新島襄である。
幕末国禁を犯し国外へ出、米国で神学校まで生き、敬虔なキリスト教徒となっていた新島が案内役を務めることになる。
道中、木戸は、「こんないい青年がいるのか」という感銘を受けた。
その後、邪教洗脳が瓦解し、新島のよき協力者となったという。
すこし
大きく脇道へそれてしまった。
(木戸と新島の話は好きなものですみません。)
さて翻って
戦後80年。
うーん、
海外国内、政治屋、マスコミ、批評家などなど、けったいな人物がふえました。
いろいろな変化がおこりそうな気がしています。
小生は粛々と中庸でいきたいのです。