小学生のころの記憶である。
このころの小生の不幸は、実家の斜め前が書道家の家だったことである。
日展にも作品を出展するような人だったようだ。
毎週土曜日、姉と一緒にその書道教室に通わされていた。
姉はその後書道の道をつづけ、墨蹟というような日本美術の美学の世界をなりわいとしている。
一方、自分にとっては、貴重な土曜日の遊び時間の減少、時間と金の浪費に過ぎなかった。
玄関から丸い砂利石を敷かれた小道を奥へ進むと、京風の御宅があり、教室に入る。
和服を着て正座された奥さんに挨拶をし始まる。
墨をすり、お題となるものを書き、できたものを先生のところに持っていき、朱筆でなおしてもらう。
眉間にしわをよせ、若干近寄りがたい風貌をかもし出した先生は、小生の書いた文字を「ブリッ」という硬質な屁の音とともに、朱筆された。
文字のはじめの力点があるところで、「ブリッ」とかまし、そのあとは「すっー」という感じで筆をすべらせてゆく。
たとえば、「二」という文字なら、「ブリッ、スー」、「ブリッ、スー」と。
ちらっと奥さんの顔をみるが、笑み一つ浮かべず、何ごともなかったかのような表情ですましている。
静寂な空間に、高調な屁の音がし、小生が書いた文字はその音とともに朱筆によりかき消された。
こども心ながらも、なにかしら、このオッサンの不遜な感じはつたわった。
「おまえの字は屁だ。」と。
帰るとき、いつもやわらかな声で、奥さんが京都弁でいう。
「さ・よ・な・ら」と。
聞き方によっては、京都風に、「さよオナラ」、にも聞こえるのである。
おもいでは、「書の道は屁なり」。
書道が好きになるはずなどないではないか。。。