寝る前のストレッチ運動をはじめてから、かれこれ五年以上になるだろうか。
数年前のある夏の夜。
NHKのラジオを聞きながら、ストレッチをやっていた時のこと。
内容は「古代オリンピック」についての講演。
紀元前8世紀から4世紀、古代ギリシャのエーリス地方、オリンピアで4年に一度行われた競技会祭典で、ギリシャ人の血筋のものだけが参加、大会期間と移動期間をあわせ三か月は休戦となったという。
参加者は、男で、裸体で競技をやっていたという。
「裸体」という言葉が、妙に耳に残った。。。
「俺もやってみるか」という流れになり、素っ裸でやってみた。
「この爽快感は、いったい何なんだ。。。」
古代ギリシャ人というのは、やはりヒトをわかっていたのだ。
家人がいない夜など、部屋を暗くして、こっそりやってみることを強くすすめる。
なぜ、それでは、そこまで爽快感が生じるのか。
股間にある二つの玉(睾丸=英語ではtestis、英口語ではballs。以後、ballsと表記する)が解放されるかんじ。
Ballsが、地球の中心へひきこまれる、自然な重力感というものを感じるとともに、二つのballsが分離して、swingingな移動をし、自由度を感じる。
<I am free ! >というような感覚であろうか。
最近の下着やズボンというなものは、実に締め付けがきつく、慢性的にそれにならされているだけだったのである。
自分なりに、理論的に理解できたあと、アマゾンで、日本古来のふんどしを購入し、外出しない日には着用することが多くなったのである。
人間など、そう長くは生きれないのであるから、好きなことをした方が気楽なのである。そして自己満足でいいのである。
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参照
古代オリンピック(こだいオリンピック、古代ギリシア語: τὰ Ὀλύμπια、古代ギリシア語ラテン翻字: ta Olympia[1]、英: Ancient Olympic Games)は、古代ギリシアのエーリス地方、オリンピアで4年に1回行われた当時最大級の競技会であり、祭典である。ギリシア語ではオリュンピア大祭、オリュンピア祭典競技とも呼ぶ。オリュンピアにはエーリスの祭神・ゼウスの神殿があった。本競技会・祭典は紀元前8世紀から紀元後4世紀にかけて行われたもので、ギリシア四大大会(後述)のひとつである。
最盛期にはギリシア世界各地から選手が参加した。ギリシア人はこれを格別に神聖視し、大会の期間およびそれに先立つ移動の期間、合計3ヶ月ほどをオリュンピア祭のための休戦期間に挙げた。またギリシア語資料では広くオリュンピア祭の回数、すなわちオリンピアードをもって年を数えることが行われる。ギリシア人の血筋を持つ者しか参加が許されず、罪を犯した者も参加できなかった。
由来と神話
ギリシア神話に残る祭の起源には諸説ある。
ホメーロスによれば、トロイア戦争で死んだパトロクロスの死を悼むため、アキレウスが競技会を行った[2]。これがオリュンピア祭の由来であるとする説がある。別の説によれば、約束を破ったアウゲイアース王を攻めたヘーラクレースが、勝利後、ゼウス神殿を建ててここで4年に1度、競技会を行った、といわれる。さらに別の説によれば、エーリス王・オイノマオスとの戦車競走で細工をして王の馬車を転倒させて王を殺し、その娘・ヒッポダメイアと結婚したペロプスが、企てに協力した御者のミュルティロスが邪魔になったので殺し、その後、願いがかなったことを感謝するためにゼウス神殿を建てて競技会を開いた。ペロプスの没後も競技会は続き、これが始まりだ、というものである。
いずれにせよ、神話に残る競技会は何らかの事情で断絶し、有史以後の祭典とは連続性をもたない。なおこれらの伝承のうちのいくつかは、エーリス市民らがオリンピックの由来を権威付けるために後に創作したものも含むと考えられる。
オリンピック以外の古代ギリシア競技祭典
オリュンピアで行われるオリュンピア祭は、ギリシアにおける四大競技大祭のうちの一つであった。これらの四つの競技大会は以下の通りである。
- オリュンピア大祭:開催地オリュンピア 4年に1度開催 祭神:ゼウス
- ネメアー大祭:開催地ネメアー 2年に1度開催 祭神:ゼウス
- イストモス大祭:開催地イストモス(現・イストミア) 2年に1度開催 祭神:ポセイドン
- ピューティア大祭:開催地デルポイ 4年に1度開催 祭神:アポロン
これら4つの競技大祭のうち、大神であるゼウスに捧げられるオリュンピア祭が最も盛大に行われた。
ゼウスが男神であることから、オリュンピア祭は女人禁制であった。そして奉納競技において競技者が裸体となることが関係していたとも考えられる。ポリスの日常生活にかかせない体育競技場においては、男性であっても競技を行わず衣服をまとって入場することがはばかられたほどであった。ただし、戦車競走では御者ではなく馬の持ち主が表彰されたので、女性が表彰された例はわずかにある。
しかし、女子競技の部ともいうべきヘーライアという祭りが行われていた時代もある。これは名のとおりゼウスの妃ヘラに捧げる祭りで、オリュンピア祭と重ならない年に行われていた女子のみの祭典となっている。競技は短距離走のみで、右胸をはだけた着衣で行われたと当時を伝える像から考えられており、現在の夏季五輪のメダルに浮き彫りにされた勝利の女神はこれを着用している。競技優勝者にはオリーブの冠と犠牲獣の肉が分け与えられ神域に自身の像を残す事が許されているが、実際は肖像を壁画に残す等の事が多く行われている。
なお、オリュンピア祭では体育だけでなく詩の競演も行われたことが伝わっている。
古代ギリシャでは優勝者に葉冠が送られる神聖競技会と賞金や高価な品物が授与される賞金競技会が区別されており、神聖競技会にあたる四大競技祭のうち古代オリンピックではオリーブの葉冠(オリーブ冠)が授与された[3]。なお、月桂冠が授与されていたのは四大競技祭のうちピューティア大祭(ピュティア競技祭)である[3]。
初期の古代オリンピック
地中海周辺の地域には、運動競技の長い伝統があったように記録されている。なぜならば、古代エジプト人と古代メソポタミア人は、王とその貴族の墓に運動競技を描写しているからである。 しかしながら、彼らは定期的な大会を開催していなかったようである。そして、それらのイベントはおそらく王と上級貴族の宮殿の庭で行われたものと推定されている。 ミノア文明は、フレスコ画にブルリーピング、タンブリング、ランニング、レスリング、ボクシングを書き残しており、体操競技を高く評価していたと推定されている。 それに続く、ミケーネ文明は古代ミノア文明の競技を採用し、宗教的儀式において戦車を用いて競いあったようである[4][5]。ホメロスの語るところの「英雄伝」によれば、死者を称えるために運動競技に参加したと考えられており、その後「イーリアス」においては、戦車レース、ボクシング、レスリング、短距離走のほか、フェンシング、アーチェリー、槍投げの記述がある。 そして、その後に記録された「オデュッセイア」はこれらに走り幅跳びと円盤投げを追加したようである[6]。