Dr.FeelGoodの小部屋

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給付金とN氏:高橋是清「世の中の銭の流れ」

「給付金」と聞くと、思い出す人がいる。

 

古い患者さんで、小生が執刀したN氏のこと。

 

30代に発症した進行した直腸癌で、根治術を施行したものの数年の命かと思われたが、予想に反し長生きされている。

 

都心随一の繁華街で、呉服屋をし、生来の女好きから家族から見放されていたが、病気が一時的に家人の気持ちをつなぎとめたものの、長生きしてしまったため家族も限界に達し、家から掘り出されてしまった。

 

N氏は、ひとり、古都の地元にかえり、たこ焼き屋を始めた。

にくめないタイプの人柄で、まじめにやっているのかチェックするため訪問したことがある。

 

開店記念に、「たこ焼き屋で泣いた」と書いた、赤いTシャツを作りプレゼントした。

 

異常に辛いソースに、入っているのか、ないのかわからない極小のタコ片。

あとでわかったが、近所の業務スーパーで、冷凍たこやきを買って、そのまま使っているのだという。

(「うちはソース自慢や!」とか、わけのわからないことを言いながら。。。)

 

その後、コロナ流行となり、このような店にも救済の意味から、国からかなりの額の給付金がでたそうである。

N氏は、にわか収入に歓喜、わざわざ上京しこれをすべて夜の世界でパッと使い果たしたという。

 

さてさて

給付金というもの。。。

少々ここで考えてみたい。

 

本来経済活性化刺激のため、ばらまかれる給付金。

 

国の意図は、この金を個人の貯金にまわされるより、結局は、N氏のような使い方をすることを望んでいたのではないのか?

 

さてさて、少々ヒントになるような話があったような。。。

ここで、花柳界にくわしく、銭にも精通した、歴史上の人物に登場してもらう。

高橋是清である。

 

「ダルマさん」と呼ばれ民衆に親しまれた人物。

経済が傾くと、民衆が「ダルマさんが出てきてくれたから、大丈夫。」と言ったという。

 

少年青春期は、騙され米国で奴隷契約にサインしてしまい、帰国後は芸者の太鼓持ち、英語教師をし、日露戦争時には、貧乏国日本の外債による戦費調達で大活躍。

財政家、内閣総理大臣、大蔵大臣。

二・二六事件で暗殺された。

 

以下、ある雑誌からの引用。

 

世の中の、「銭の流れ」について、高橋是清が言ったこと。

 

「仮にある人が待合(まちあい)へ行って、芸者をよんだり、ぜいたくな料理を食べたりして、2千円を費消(ひしょう)したとする。。。

 

これは風紀道徳の上からいえば、そういう使い方をしてもらいたくはないけれども、仮に使ったとして、この使われた金はどういう風に散らばって行くかというのに、料理代となった部分は料理人の給料の一部となり、また料理に使われた魚類、肉類、野菜類、調味品等の代価およびそれらの運搬費並びに商人の稼ぎ料として支払われる。

 

それから芸者代として支払われた金は、その一部は芸者の手に渡って、食料、納税、衣服、化粧品、その他の代償として支出せられる。

その金は転々として、農、工、商、漁業者等の手に移り、それがまた諸般産業の上に、二十倍にも、三十倍にもなって働く。」

 

この偉大な財政家の上記のような話を読むと、

もらった給付金を夜の世界でパッとすべて使い切ったN氏の行動は、政府から最も推奨されるべき使用方法のひとつとして、表彰級の行いだったともおもえてくるのである。

 

 

参照

Wikipedia

高橋是清

 

 

 

高橋 是清(たかはし これきよ、旧字体高橋 是淸1854年9月19日嘉永7年/安政元年7月27日[1]〉- 1936年昭和11年〉2月26日)は、日本政治家[2]日本銀行総裁

立憲政友会第4代総裁。第20代内閣総理大臣(在任: 1921年大正10年〉11月13日 - 1922年大正11年6月12日)。栄典正二位大勲位子爵幼名和喜次わきじ

日露戦争の戦費調達のための外債募集を成功させたことで、近代日本を代表する財政家として知られることから、内閣総理大臣としてよりも、大蔵大臣としての評価の方が高い。愛称は「ダルマさん」。二・二六事件で暗殺された。