さて
最近のテレビなどマスコミの外交報道の過敏さ。
過敏な反応というものが、世の中をいかに撹拌し、余計な混乱を引き起こしてきたか。
コロナの時の過敏・過剰報道、南海トラフの過敏・過剰報道などなど。。。
コロナの時期、NHKのコロナ報道出演の某教授などのコメントを聞くたび、「それくらいのこと、中学生でも言えるわい!」とテレビにどなっていたものである。
情報源としてニュートラルな報道を国民は望んでいるはずだが、日本のジャーナリズムは国民をあおるだけのものとなり果てた。
Nippon Hoso Kyokai の略らしい、Nの入ったNHKは、いまやCHK、KHKと名称を変えるべきかと思えるような報道を連日のように行っている。民放とは、一線を画してほしいのだが。。。
早々に組織の自己解剖が望まれる。
国民から銭を取っているなら、少しは日本国に愛情をもって接し、客観的見解に基づき、偏りのないニュートラルな報道を望む。
扇動報道はNGである。
さてさて
過去の歴史。
太平洋戦争のこと。
大恐慌などの不況下、左、右のイデオロギー、軍人、官僚、そしてジャーナリズムが、寄ってたかって、日本国をめちゃくちゃにしてしまった過去。
事実として、国民を扇動したジャーナリズムの責任は、見逃すことはできない。
上記すべてのものたちが、自己の絶対化という魔法にのせられ、自己解剖の勇気を持たず、自己の相対化(他者、他国との比較)をわすれた結果としての暗い過去を思い返すべきである。
言っておくが、ジャーナリズムの世界自体も、自己解剖する勇気を持たず、扇動報道を繰り返した事実は隠せない。
(太平洋戦争以降、その過去を何かにつけ隣国に持ち出され、戦争をまったく知らない世代や現在の若者までがうつむき気味になることに心がくもる。)