その年は、穏やかな正月だった。
我が家では実にめずらしく家族が同じ行動にでた。
近くの神社に初詣に行った。
長蛇の列だった。
おやじだけは列には並ばず、進み出でて、賽銭箱の横、数メートルくらい離れたところから、コインをヒューと投げ入れたのである。
二礼二拍一礼というような行動は全くなしである。
この一連の動きをどう解釈するべきか、この男の内面はどういったものなのか。。。
実に驚いた。
さて
このことと少し視点は変わるが、
翻って考えると、そもそも賽銭→お願いという「現世利益」の要求自体、たとえば、キリスト教徒から見たら、ありえないものと想像するが、われわれは賽銭投げ入れそしてお願いという行為を、日々あたり前に行っている。
戦国時代、フランシスコ・ザビエルらの宣教師は布教にあたり、この現世利益という日本人の考え方にどう向きあうべきか、当惑する場面があったと想像する。
さてさてそういいながらも、
来年、おやじのように賽銭横投げをしなくてもいいように、人が少なくなった頃、初詣に行くつもりである。
<参考 Wikipediaから>
現世利益
神仏の恵みが現世で与えられるとする信仰。 日本では、一般的に、多種多様な神仏は、それぞれの特色に応じた恵みを、生活の様々な局面のなかで授けてくれるという世界観が根付いている。 一般的に、宗教における現世利益の位置づけは軽視されがちであるが、日本においては、神仏と切っては切れないものとして認識されている。