Dr.FeelGoodの小部屋

小さな楽しみを見つけて、それをつなげて日々を過ごすだけ。

自衛隊員家族への国会侮蔑発言:この方はまず頭部MRIへ。そして国民の審判へ。

いやいやいや、驚いたなあ。

この比例選出の立憲民主党・古賀千景の自衛隊員や同家族を侮蔑した国会発言には、小生も、思わず、自分が一体今地球上のどこにいるのか、確かめたくなったほどである。

 

「貧乏人が自衛隊に入り、豊かな人は自衛隊とか行かない」と。

 

 

おいおい。

自衛隊へ行ったせがれを持つ同僚たちは、数人いるが、俺より何倍も銭も人間的にも豊かだぜ。

 

(少々、今日の文章は、老体ながら、過激になるでしょう。)

 

まず、一言。

自衛隊員うんぬんや、アンタが日教組出身うんぬんの前に、

まずは、人として、「職業に貴賎なし」と教育するもんじゃなかったの。

この人、学校の先生でしょ。

 

貧乏だろうが、なかろうが、関係ないだろうよ。

貧乏でも楽しそうに生きるのが、太古から、われら日本民族の真骨頂なのだよ。

 

建設的な提案もなく人の上げ足をとって国会の時間を浪費するアンタより、体張って自衛隊に行って国防に携わっている人の方が、一億倍、崇高である。

 

アンタより、一兆倍、背筋が伸びていると思うね。

 

貧乏とか偉そうなことぬかして、小生、長年医学にかかわっている人間として見てきたことは、死んで銭なんかあの世に持っていけないんだよ。

 

さてさて

以前ブログに書いたが、早い年齢から、脳の萎縮が始まる人間が存在します。

 

老人になると、脳が萎縮し、抑制がきかなくなる場合があるのです。

 

ある大企業のお偉いさんが、地下鉄の女性用便所にぶらさがってのぞこうとしているところを見つかり逮捕。

週刊誌の絶好のターゲットになりかけたが、その後新聞にピック病という前頭葉の病気と報じられ、話は終焉。

(大企業の政治力で抑えこんだのか、マスゴミたちはおおいに嘆いたことだろう。)

 

この議員の国会答弁の興奮性、陶酔性、イデオロギーという酩酊状態、脳の前頭葉の抑制のきかないかのような過剰発言と傲慢さ。。。

 

ドン・キホーテのごとく、自分の姿を、鏡でよく見てみなさいよと。。。

 

小生は医師として言いたいが、一旦、病院での頭部MRI検査を是非早急にすすめたいところである。

 

抑制のきかない病的萎縮脳になっているか否かのチェックを要すると判断する。

 

もしも異常が指摘されれば、早急に退き、国会は国民の税金で運営されているという当たり前の認識のある、常人の議論が交わせる若い議員の補欠選挙のために、是非貢献していただきたいと思うのである。

 

しかし、MRIで脳に器質的変化がなく、正常というのなら、医学的にはやりようもなく、国民の審判を受けざるをえない。

 

この者に足りないのは、脳ミソの中の、この者の言うところの「豊かさ」であり、そして頭蓋骨内にあふれかえったものは、この者のいうところの「貧困」というやつではないのか。

 

 

NHK:理解しがたい報道姿勢

先日、私は仕事場でNHKの夕方のニュース番組を見ていた。

 

ある有名キャラクター商品の販売店に勤めていた女性が、ストーカーによって殺害された事件を取り上げていた。

 

その報道では、アニメ風の映像を用いて、犯行現場の様子が再現されていた。

 

そこでは、被害者の女性が仰向けに倒され、その上に加害者が馬乗りになり、包丁で何度も刺し続ける動作まで描写されていた。

 

私は、その瞬間、強い怒りを覚えた。

 

もしこれを、被害者のご家族やご友人、あるいは職場の関係者が目にしたなら、どれほど深く傷つくであろうかと思ったからである。

 

このような報道によって、いったい誰が利益を受けるのだろうか。

 

報道を制作し、さらにそれを許容した人々の中に、人の痛みや感情に対する想像力を持った者が本当にいるのかと、憤りを禁じ得なかった。

 

ただでさえ深い悲しみの中にある被害者側の人々を、さらに苦しめるような報道に、いかなる意義があるのか。

私にはまったく理解しがたい内容である。

 

NHKは以前にも同様を報道をくりかえしており、今回もまた、あきれ果てる思いを抱かざるを得なかった。

 

国民から金を徴収している報道機関が、民放をめざしてどうなるのか。

 

このような報道を続ける限り、NHKが国民の信頼を回復することはないであろう。

もし人から「君は阿保かね?」と聞かれたら。

もし人から「君は阿呆かね」と問われたなら、私は、おそらくさして狼狽もせず、「はい、かなりの程度において阿呆であります」と答えるであろう。

 

いや、むしろ、そう答えるほうが気が楽である。

 

人間というもの、ある年齢に達すると、自分の愚かさについては、学歴や肩書とは別個に、かなり正確な見当がつくようになるものらしい。

 

私は近ごろ、ときどきテレビという妙な箱を眺めながら、つくづく考える。

 

世の中には、ずいぶん立派な学校を出ていながら、そのこととはまるで関係なしに、実に見事な阿呆さを発揮しておられる方々が少なくない。

 

これはなかなか壮観である。

ニュースのコメンテーターと称する人々は、いかにも深遠な表情を浮かべて、昨日聞いたようなことを今日またしゃべっている。

 

朝日などオールドメディアの政治談義にいたっては、書生さながら、何やら国家百年の計を論じているつもりのようだが、その実、床屋の待合室の世間話に少々毛が生えた程度のものである。

 

さらに野党議員の先生方のご高説となると、これはもう一種独特の味わいがある。

何でもかんでも反対し、現実に実行するにはむずかしい夢物語を、いとも簡単そうに言い放つ。

 

聞いているとその阿保さ加減というもの、吉本新喜劇よりおかしい。

世の中というものは、もう少し単純で、もう少し善意だけで動くものであったら、どんなによかったろうになあとおもったりもする。

 

しかし残念ながら、現実というものはたいてい鈍重で、融通がきかず、しかも人の言うことをあまり聞かない。それくらいのこと、どうしてわからないのかい。

 

こうした人々をぼんやり眺めていると、私自身の阿呆さも、これは案外、世間全体の平均値から見れば、それほどひどいものではないのではないか、という、まことに都合のよい安心感が胸に満ちてくるのである。

 

自分の愚かさを、他人のさらに大きな愚かさによって慰めるというのは、あまり品のよい話ではない。

だが人間というものは、おそらくそういう小さな比較級の幸福によって、どうにか正気を保って生きているのではあるまいか。

 

要するに、私も阿呆である。

 

しかし、世間には私以上に、もっとのびのびと、もっと自信たっぷりに阿呆でいられる人が、ずいぶんたくさんいるらしい。

そう思うと、私は少しばかり元気が出るのである。

 

天才バカボンのパパも言っていた。

「それでいいのだ。」

 

 

ときどき忘れてしまうこと

忘れたころに、ふと胸の奥に浮かんでくる思いがある。

自分も、いつかはあの世へ行くという、ごく当たり前のことだ。

 

普段はそんなことを忘れている。

日々の雑事に追われたり、あるいはぼんやりしているうちに、いつのまにか意識の外へ押しやられてしまう。

 

かつて親しくしていた医者仲間が三人いた。そのうち二人はもう亡くなっている。

 

それでも人間というものは不思議なほど楽天的で、

その事実を、つい忘れて暮らしている。

 

もっとも、もしこのことを一日中考え続けたら、

人の心はきっと持ちこたえられないだろう。

人間が時々それを忘れるようにできているのは、たぶん神様のちょっとした配慮なのかもしれない。

 

現代では、医学的に死と判定されることが、すなわち人の死だと考えられている。

医者である私も、もちろん普段はそう理解している。

 

しかし、ときどきふと思うのである。

本当にそれだけなのだろうか、と。

 

うまく言葉にはできないのだが、

人には何か、もう少し別の形で残っていくものがあるのではないか。

精神の継承や遺産、とでも言えばいいのだろうか。

 

亡くなった後輩の家を、今年も、近いうちに訪ねようと思っている。

その息子と、神保町あたりの餃子屋にでも入って、一杯やるつもりだ。

 

そうして、後輩の話を少しする。

それで、たぶん、奴はしばらくのあいだ、そこに戻ってくる。

 

そんな気がしている。

夜酒派(禁酒のひとつの方法)

前回、船医として乗船していたことを書いた。

 

この船は厳格な船で、クルーは全員禁酒。

 

船長というのは、えらいもので、逮捕権まである。

違反したら、即刻、クビらしい。

こんな遠洋で、小舟で放り出されたら、船酔いで、絶対あの世にいくだろうと思った。

 

規律を感じ、「ウィスキーボンボンはもっていってもいいのでしょうか。」などとは、乗船前にも、聞くことはできない雰囲気であった。

 

Galley(ギャレー)と言われる船の厨房にはガラス張りの冷蔵庫があり、ここにいけば、いつでも牛乳は確保できる。

 

医学部生時代から、ずっと夜酒により睡眠をえるという習慣があるため、悩んだ挙句、この牛乳を寝る前に、酒のようにチビチビグビグビと飲むことにした。

あてはチョコレートにした。

なんとか眠れた。

 

しかし、

2週間後にチョコレートが枯渇した。

 

日曜日に30分ほど開かれる簡易売店があったが、列ができ、ノンアルコールビールとチョコレートは即完売。

 

ラジオ長からは、この船には「もうノンアルコールビールとチョコレートは、なくなりました。」という宣言が、朝のブリーフィングで出航早々にあり、絶望感がただよった。

 

ベテランの看護師に、「チョコレートがなくなったんだよなあ。」とか空をむいてつぶやいたら、一つ板チョコをくれた。

言ってみるもんだと思った。

 

しばらく救われたが、またなくなった。

 

たしかもう一回言ったら、またくれたが、その後は、そう世の中は甘くなかった。

 

仕方なく、「おかき」の残りがあったので、しばらくそれでつないだ。

 

船の中では、「司厨長」という食べ物を作る部門の長がいるのだが、重要人物の一人で、「おかきを食べたいなあ。」と看護師にいったら、司厨長に伝わり、なぜか医務室におかきの袋が積んであった。

 

実にありがたかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

下船病

船医として乗船し、一か月と一週間の航海からもどってきたところである。

 

なにかしら、地震でもないのに、船の中にいるようなゆらゆら感が残っている。

 

しだいに軽くなってゆくはずだが、人間の体というのは、なんともおもしろいものである。

 

「船酔い」を軽くするコツ?というのは、「ゆれに対して、抗わない」ということだが、これを体が覚えていて、陸にあがってもまだそのように対応するというのは、実におもしろいものである。

 

 

 

御歌

近所の神社へ行った。

 

12月の標語があった。

少々感じ入った。

 

務め終へ 歩み速めて

帰るみち 月の光は

白く照らせり

     

上皇陛下

宮内庁 平成十九年歌会始 お題「月」