Dr.FeelGoodの小部屋

小さな楽しみを見つけて、それをつなげて日々を過ごすだけ。

奇数と偶数

最近は、季節もよくなり、呆けたかんじで過ごしている。

 

さて

何気なく、ふと自分が好む数字は何だろうと思ってみると、どうも奇数がすきなようである。

 

奇数と偶数に関して、ある人が書いたものをすこし読んでみた。

 

日本人は奇数好きだという。

 

1月1日元旦、七五三、3月3日桃の節句、5月5日端午の節句、7月7日七夕などのお祝い事。

 

俳句は五七五、短歌は五七五七七、漢詩の五言絶句、七言絶句、応援団の三三七拍子などの例が書かれてある。

 

ところが別れるもの、四は死、六はろくでなしなど、偶数は人気がない。

 

確かにおもうと、病室に4の入る部屋はないような記憶。

 

結婚式、葬儀などでも偶数の金額は入れない気がする。

 

中国の陰陽思想では奇数は陽数とかかれてあり、長い歴史的交流の影響か。。

 

ところが、一方、西洋人はシンメトリーを重視する文化、偶数文化であるという。

議会の2院制、建物のシンメトリーなどなど(省略)。

 

ユダヤ教のシンボルは、六芒星だったなあ。

 

英語圏での、even numberは偶数、odd numberは奇数と訳されている。

oddには変な、奇怪な、風変わりなという意味がある。

(また偶とは、ふたつならぶものを表す。)

 

筆者によると、偶数even number、奇数odd numberというものは、明治10年に設立された数学訳語会というものが、同14年に議定したものであるという。

それ以前に、日本にそのような数字の区分が存在したかどうかは言及されていない。

 

まあしかしながら、難しいことは小生にはわからないが、奇なるものが日本で愛されてきたというのはいいことではないのかと思う。

 

善と悪、白と黒など、すぱっと二つに割れるものなど世の中にないと思ってしまう自分には、割り切れないものの中に、なにか安堵し、親近感を感じるのである。

 

 

 

 

都心の散歩

最近、少々呆けているうちに、書くことも忘れていた。

 

3月まで、仕事の関係上、日曜日に都心のホテルに泊まらなければならないことが多かった。

 

三時半ごろから、散歩に出かけ、適当にみつけたところで夕飯をとる。

 

あてもなく、目的を定めない。

 

スキットルに酒をいれ、信号待ちで、ちびちび飲んで寒さをしのぐ。

 

最近思ったことだが、都心部の散歩は、日曜日の夕刻が一番いいのではないかと。。

 

いつもと違う、人がいない閑散とした光景。

 

意外とこれを楽しむのも、都心散歩にはいいかもしれない。

 

 

 

 

 

 

餃子(ぎょうざ)

最近、餃子好きになった。

好みの中華料理屋を見つけたのだ。

 

以前このブログに登場してもらった中国人のC医師によると、中国には焼き餃子というものはなく、水餃子だという。

以前書いたように、彼がいうには、天津甘栗、天津飯、天津丼も存在しないらしい。

(彼は天津出身であるため、信憑性は高い。)

 

仕事でホテルにつくと、小さな焼酎を販売機で買って、後ろポケットにいれ、ちびちび飲みながら街の探索に出る。

 

店につくと、小ビール、餃子、半チャーハンを注文。

昭和の空間。

味も懐かしいものである。

なんでこんなにうまく感じるのか。。。

 

こういう店が次第になくなってきた。

残念なことである。

 

 

 

 

 

 

 

偽善のおしつけ

以前、作家遠藤周作氏が講演録音の中でいわれていたことである。

 

非常に印象深い話で、少々正確さを欠くところもあるかもしれないが、今日は書いてみたい。

 

ある感染症の難病。

現在では治療可能な疾患ではあるが、当時は治療薬がなく、具合が悪いことに後遺症として身体の醜形を残すものであった。

 

伝染疾患であるため隔離のために療養所が設けられていた。

 

後年、氏がそこを訪問した時の話である。

おそらく取材をかねてのことだったろう。

 

院内を随行案内したのは、看護の長だった。

 

その者は、後遺症を呈した患者の一人にすり寄り、変形し拘縮したその手を、両手で包み込み、執拗にさすっていたという。

 

患者からすれば、自分の最も見られたくないものを、はじめて会う他者の目にさらされることになった。

 

氏は、その時の患者の、苦痛に満ちあふれた表情を生涯忘れられないと語っていた。

 

自分の場合、このような光景は、医療の現場で何度か見てきたような気がする。

いつもなにか釈然としなかった。

 

いや、

これに類似した光景は、現在でもマスメディア等、あらゆる分野で散見される。

 

善人ぶった人間の思い上がりである。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ラグビー観戦

ラグビーリーグワンの観戦にちょこちょこ行くようになった。

(もちろん大学ラグビーもいいもんだ。)

 

海外から、かなりのスタープレーヤーも散見され、外国人もおおいに増えて、かなりレベルアップした。

見ていて非常にたのしい試合が多くなった。

 

4年後のオーストラリアでのワールドカップでのジャパンはかなり期待できると思っている。

 

スキットルにウイスキーをいれて、ちびちび飲みながら観戦する。

前もって、だいたい選手の感じを下調べておくほうがベターだろう。

 

指定席というのは、型にはめられた感じがして嫌なので、

自由席を気まぐれに移動する。

 

朝の天気をみて、出動するかどうかを決める。

したがって、当日券である。

 

なるべく太陽の当たるところにいって座ったほうがいい。

しかしながら、逆光になるので、必ず帽子を持参したほうがいい。

 

自分はあまり十分すぎるような寒さ対策をせず行くが、寒さに弱い人は注意が必要であろう。

ケツのポケットに入れるホッカイロは意外にいい。

 

小さな双眼鏡を持っていくと、テレビで見たような選手の顔も確認出来ていい。

しかも、ピントを手動で合わせなくいいタイプがベター。

すぐに場面が変わってしまうから。

 

当たった時のドスッという鈍い音も聞こえてくる。

よくもまあ、こんなスポーツを仕事に選んだものだと感心する。

体重無差別の格闘技と言っていい。

 

自分は、ひいきのチームは決めない。

判官びいきである。

いいプレイには、双方に拍手する。

 

駅がこまないうちに、帰りはすこし早めにでる。

適当にあたたかいそばでも食べて、電車に乗る。

 

 

八代亜紀さん「なみだ恋」

膠原病による間質性肺炎での訃報。

こころからご冥福をお祈りいたします。

 

昨夜は、八代亜紀さんのレコードをとりだし、久しぶりに「なみだ恋」を聞いた。

初期の曲。1973年(昭和48年)。

 

たしか、中一のころ、この曲が大ヒットした。

EP版のシングルレコード、同じものを2枚買った。

ファンだったのである。

 

これには前置きがあり、その当時テレビで、デビューしたものの鳴かず飛ばずの新人歌手の再挑戦、再登竜門的な番組というものがあった。

「全日本歌謡選手権」といった。

 

強面のおじさん、おばさんの審査員(船村徹淡谷のり子など)がおり、辛口のコメントをしていた。

サディスティックなスポコン的な番組だった。

 

たしか八代亜紀さんは10週勝ち抜いた。

そして「なみだ恋」を出す。

 

世の中には歌がうまい人というのは、数知れずいると思うが、この人には、一声を聞いたら、この人だとわかる、そういうプロとして生きる上で必須の個性が備わっていた。

 

あとは、土俵に上げてもらう手のひら、機会が必要だった。

 

すこしそれるが、孤高のブルースギタリストとして、B.B.Kingがいる。

ギターのチョーキングやビブラートを聞いただけで、これは、B.B.Kingだとわかる。

プロというのは個性がないと通用しないようにも思える。

 

さて

自分は、八代亜紀の初期のころの声、歌い方が好きで、素の良さがあると思う。

初期のころ録音された「なみだ恋」は、少々探さないと聞けない。

 

以前ワイン屋のおじさんから聞いた話だが、うまいワインというのはその熟成時期にかかわらず、どの時期に飲んでもうまいものなんだという。。。

そういうことだろう。

 

八代亜紀さん、ほんとうにありがとう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ラーメンのこと

近所にすこし人気のあるラーメン屋がある。

 

以前いったことがあり、塩ラーメンで、かなりうまいことには間違いない。

 

しかしながら、後ろに人が待っているような切迫感があり、急いで、せかされて食べないといけないような空気感、なにかしら妙な緊張感のある店の雰囲気が自分にはあわず、しばらく行っていない。

 

自分の好みとしては、普通の中華料理屋で出してくれる、シンプルなしょうゆ系の普通のラーメンがいい。

 

そんなにうまくなくてもいい。

ふつうに食べられれば、それでいいのだ。

 

無言で食べないといけないような強迫感もなく、すいた時間に、テーブルでゆったりラーメンを食べたいものである。

時に、餃子をたのんで、そして小ビールも。