(祖父の軍歴を、引き続き、たどってゆくことにする。
親戚もまったく知らない祖父の軍歴というものを、すこしずつ調べて、自分への手紙のような感じで書いているだけである。)
第一次世界大戦は、半ばを過ぎ、後半に入る年。
この年は、祖父にとって、軍歴上、最も大きなできごとが起こることになる。
日本海軍が地中海に派遣した、「第二特務艦隊」に参加したことである。
以下、この年、大正6年(1917年)の軍歴履歴は、二行である。
「大正6年3月11日 新嘉坡発 戦地戦務(2カ年加算)但軍艦明石乗組」
(新嘉坡=シンガポール)
「大正6年10月22日 横須賀帰着」
軍歴履歴の中で、はじめて、「戦地戦務」という言葉が出てくる。
しかも、「2ヶ年加算」ということも書かれている。
(これが自分なら、「やばいなあ、これは。」と思ってしまうわけであるが、明治人の祖父は、どう思ったのか。。。時代背景や場の雰囲気が、人の精神まで包括してしまうのであれば、実におそろしく思われ、かつ、最終的には祖父はやはりあきらめたことであろう。
もし祖父がたとえ楽天的な人間であったとしても、この時、腹をくくったはずである。少々思考する頭の回路が存在したならば、死の危険を感じ、自分は何のために死ぬのか、と少しは思ったはずである。また、その意味合いや理由付けも探そうとしたはずである。)
少々詳細は、今後、何回かにわけて書くとして、
この当時の「日英同盟」のもと、英国の要請により日本海軍は、小編成ながら、第一次世界大戦の中心地ヨーロッパ地中海への遠征をおこなっている。
地中海で商船に対する通商破壊行為をおこなっていた、最新兵器ともいえる、ドイツ海軍の「Uボート」(潜水艦)と対峙することになる。
この遠征のため、急遽、日本海軍は「第二特務艦隊」を結成、「明石」はその旗艦となって参戦する。
祖父が、はるばる地中海マルタまで戦に行っていたことなど、親族の話として、まったく子孫の自分たちには伝わっていない。
その軍歴を調べるまで、まったく誰も知らないことであった。
(以前にも書いたが、)
<人間というものは、本当につらかったことは、人には語らぬもの。>
何も自分たちに伝わっていないこと自体が、その答えを示すものと推測する。
さてさて、多くを書く前に、
また、この年、大正6年(1917年)がどのような社会の出来事があったかピックアップし列記してみる。
(このころは、世界中がおかしいですなあ。。。)
(参照:wikipedia その他)
1月11日 第一次世界大戦:駐日英国大使が日本艦隊の欧州派遣を本野一郎外相に要請
(→ これが祖父の軍歴履歴と関係してくる。)
1月17日 アメリカがデンマークからヴァージン諸島を2500万ドルで買収
(→ 現在も所有、まあ好き放題やっているという感じ。)
1月31日 ドイツが無制限潜水艦作戦の開始を発表
2月7日 日本海軍が欧州派遣に向け第1・第2特務艦隊を編成
2月12日 神戸衛星実験所(のちの、ビオフェルミン製薬)設立
(→ 小生診療で軽度下痢には現在でも処方しています。)
2月24日 イルマ殺し
(→ 詳細内容割愛しますが、調べると読んでしまう内容。)
(→ 祖父の軍歴履歴で、日付と出港地とも一致。)
3月15日 ロシア革命:臨時政府樹立。ニコライ2世が皇帝を退位。(ロマノフ朝滅亡)
4月6日 米国が第一次世界大戦へ参戦、ドイツへ宣戦布告。
(→ 米大統領ウィドロー・ウィルソン:戦争を終わらせるための戦争と?
最近どこかで聞いたようなレトリックではないのか? 世の常。)
5月15日 東洋陶器(現、TOTO)設立
5月17日 バレエ「パラード」がパリで初演。台本ジャン・コクトー、音楽エリック・サティ、美術衣装パブロ・ピカソ
(→ すごいメンバー。ヨーロッパは戦争中だが、やはり心の清涼剤は必要。)
6月17日 味の素創立(鈴木三郎助:(株)鈴木商会設立)
6月30日 アニメ映画「なまくら刀」公開(現存日本最古のアニメ)
(→ 映画「アラビアのロレンス」参照。)
9月1日 日本煉乳株式会社創立(現、森永乳業)
9月30日 東京湾岸一帯で高潮水害
10月13日 ポルトガル、ファティマで「太陽の奇跡」が起こる
(→ なんじゃこれ?? 文末参照ウィキぺディア)
11月2日 イギリスがバルフォア宣言を発表
ユダヤ人国家建設を約束することに同意
(→ うーん、これはのちのち問題になりますなあ。。
連合国側へ米国を参戦させるため、米国世論を変化させようと、ユダヤ人をからめた英国の策。)
11月7日 ロシア10月革命(十一月革命)ソビエト政権樹立
(→ ロシア暦はすこし通常のグレゴリオ暦とずれる。
(メモ:そもそも、ソビエトとは何ぞや? ロシア革命時のロシア帝国において、社会主義者の働きかけもありながら、主として自然発生的に形成された労働者・農民・兵士の評議会(理事会)とのことらしい。)(参照 wikipedia)
11月20日 ウクライナ人民共和国が独立宣言
(→ この名の国は3年で終わる。)
12月6日 フィンランドがロシアから独立を宣言
(→ 以前読んだ本の中に、この年から12年まえになる1905年に、日本海軍がロシア・バルチック艦隊を、ほぼパーフェクトゲームで撃滅した時には、フィンランド人は、1週間ほど仕事もせず、毎日大騒ぎをしたと書いてあった。)
以下、日付不詳事項:
神戸市を中心に、天然痘流行 (患者5000人超え、死者935名)
(→ 1980年ごろにWHOの撲滅宣言があったのを覚えていたのだが、専門領域でもなく、多くを知らない疾患。
近年、生物兵器としての危険性から、アメリカなどでは、ワクチンの備蓄が進んでおり、全米国民に提供できるまで準備完了しているとのことである。
相変わらず、日本政府は呑気に構えているのだろうか?
(すでに対応しているのなら、失敬。)
人が死んでから、初動する国、日本。
外圧でしか、動かない日本政府。
相変わらず、歴史はかわらないのかな。。。)
さてさて
祖父の参加した「第二特務艦隊」というのは、通人以外、あまり大きく知られていないようなのだが、一応資料も残っており、素人ながら少々調べて、記載を続けてみたい。
To be continued.
以下
参照
「太陽の奇跡」?
太陽の奇跡(たいようのきせき、ポルトガル語: milagre do sol、別名:ファティマの奇跡)は、1917年10月13日に、3人の羊飼いの子供たちによる予言に反応してポルトガルのファティマに集まった群衆が立ち会う中で発生したと報告されている現象である。予言の内容は、その日に聖母マリア(ファティマの聖母と呼ばれる)が現れて奇跡を行うというものだった。新聞は、太陽が空中を「ダンス」するように、またはジグザグに動いた、地上に向かって突き進んだ、色とりどりのまばゆい光を放ったというような、異常な太陽の活動を目撃したという人々の証言を発表した。これらの報告によると、この現象は約10分間続いた。