どうも、渋沢栄一の言葉のようです。
近くの神社に散歩に行ったとき、そのような言葉が紙に書いてありました。
渋沢栄一という人は、若干、好きなひとかもしれません。
助平だったようです。
(余談ながら、自分は、助平なひとはいい人が多いような気がしています。)
かなり長生きでした。
昭和初期、陸軍が台頭し、雲行きがあやしくなっていったころはまだ存命でした。
反米意識があがってきたころ、やはり大きな危機感があり、経済界の動きとして米国と水面下でいろいろ苦労されたようです。
幕末から、明治大正を生き、外国との軋轢をどうにかこうにか綱渡りし、薄氷を踏むおもいで日本を導いてきた人たちは、旧日本陸軍のような、国を博打にかけるようなことは決して思いつきもしなかったことでしょう。
子供たちの、日本の人形と米国の人形とを交換するというような、悪感情の硬化を緩和する、民衆レベルでの企画を講じたりもしています。
戦後わかったことですが、敵国のものを保存することはならんという理由からか、米国からおくられた人形はほとんど日本に現存せず、一方、日本からおくられた人形というのは、アメリカの博物館などに保存され現存しているようです。
ひとの心に余裕のない、伸びきったゴムのような世の中というものはやはりよくないとつくづくおもいます。