しばらく呆けていたら時間がたっていた。
来年、山陰あたりの旅にいってみたいなあと思い、下調べを始めていた。
若いうちに行かないと、足腰が立たなくなって、旅などできないのである。
さて
前に少々書いた映画「砂の器」。
犯人と被害者の会話に見られた東北音韻がキーになってくる。
言語研究所のおじさんが出てきて「東北弁が東北地方以外で話されることはないが、東北音韻が存在する地方があります。出雲地方です。」
遠く離れた地域にスポット状に存在するというのである。
これが大きく事件を方向転換させるという、松本清張、絶妙の展開をみせていく。
さてさて、
まず観光局からパンフなど資料とりよせ、トイレに設置する。
10月31日は、「出雲ぜんざいの日」と書いてある。ほんまかいな。。。
以下、観光パンフから。
ぜんざいは、出雲地方の「神在餅」(→じんざいもち、と読む。)に起因する。
旧暦10月、全国から神々が出雲に集まる、神在(じんざい)祭。
(出雲では、神在月(かみありづき)、他地方は神さんがいなくなるから神無月。)
さて、
「じんざい」が出雲弁(ずーずー弁)でなまって、「ずんざい」。
さらに変化して、京都では「ぜんざい」と言われていたとのこと。
知らないことばかりで興味深かった。
『 夫婦善哉 』(めおとぜんざい、 織田作之助 )というのもありましたなあ。。。
参照メモ
(出典、Wiki)
ぜんざい(善哉)は、豆(主に小豆)を砂糖で甘く煮た日本の食べ物である。
餅や白玉団子、栗の甘露煮などと共に供されることが多い。一般的には豆の原形が存在するものを指して用いられるが、例外もある。
定義[編集]
関東地方では汁気のない餡そのものをぜんざいと呼ぶが、関西地方では粒餡を用いた温かい汁物をぜんざいと呼び、漉し餡を用いた汁物は「汁粉」と呼び分ける [1]。これは西日本から東日本へと伝播する過程において、ぜんざいと汁粉の区別が正しく伝わらなかったからともいう[2]。汁気のない餡を用いたものは、関西では「亀山」や「小倉(おぐら)」と呼ばれている。
関東(角餅) | 関西(丸餅) | ||
---|---|---|---|
汁気あり | つぶあん | おしるこ(田舎汁粉あるいは小倉汁粉) | ぜんざい |
こしあん | おしるこ(御膳汁粉) | おしるこ | |
汁気なし | ぜんざい | 亀山、金時、小倉など |
九州での「おしるこ」と「ぜんざい」の違いは、基本的に関西と同様で、漉し餡を使った汁気のあるものを「おしるこ」、粒餡で汁気のあるものを「ぜんざい」と呼ぶ。一部地域では、餅入りを「おしるこ」、白玉団子入りを「ぜんざい」と言い、その逆の場合もあるとされる。北海道では「おしるこ」と「ぜんざい」について、はっきりと区別されていない[4]。
語源
ぜんざいの語源は主に2説ある。
1つは仏教用語である「善哉(ぜんざい・よきかな)」を由来とする説である。一休宗純が最初に食べたとされ、この食べ物の美味しさに「善哉」と叫んだ事から名称とされた。「善哉」とは仏が弟子を褒める時に使う言葉であり、サンスクリット語の素晴らしいを意味する「sadhu」の漢訳である。
もう1つは、出雲地方の神事「神在祭」で振る舞われた「神在餅」を由来とする説である。「神在餅」の「じんざい」が訛り、「ぜんざい」へと変化したと言われている。島根県松江市鹿島町の佐太神社のホームページ[1]にはこのような記載がある。
11月25日は神々をお送りする神等去出(からさで)神事が執り行われます。この日はカラサデさんといわれ、神前に供えていた餅と小豆を一緒に煮て小豆雑煮を作り再び供えていました。これを「神在餅(じんざいもち)」と呼び、今も宮司宅では家例としてこの日に小豆雑煮を作り、屋敷内の祖霊社、稲荷社、邸内の歳神にお供えいたします。昔は里人の間でもこの日の朝に餅を搗き参拝する慣わしがあり、参拝するものは必ず一重ねのオカガミ(餅)をもって参った後、小豆を入れた雑煮餅を作って家の神棚に供えてから銘々も頂く風習があったようです。この「神在餅」が転化して「ぜんざい」になったといわれているのです。 — 『ぜんざい発祥の地』佐太神社
松江藩の地誌『雲陽誌(うんようし)』佐陀大社の項に「此祭日俚民白餅を小豆にて煮家ことに食これを神在餅といふ出雲の国にはしまる世間せんさい餅といふはあやまりなり」とあります。その他、いくつかの古文献にも「神在餅」についての記述があるところから当社は「ぜんざい発祥の地」であるといわれています。」と書かれており、実際に出雲地方の正月に食べる雑煮は小豆汁の雑煮であるなど小豆との関係が強い。神前に供えた餅自体が「善哉」であり、この餅を食べる為の小豆を使用した食事をも善哉と呼ぶようになったとする説。